2010年4月9日
今日は、会社をお休みして、若い頃勤めていた会社のOB会を富嶽カントリーで行いました。毎年春の桜が満開ころ、この富嶽カントリーでゴルフをやっています。一目千本の桜はとても綺麗です。なんでも、コース内に6千本も桜があるそうです。
もう35年以上前になりますが、まだ20代のころのことです。同族中小企業で、産業機械のメーカーでしたが、入社して数年で倒産しました。倒産寸前は、経営者のような資金繰りまでさせられましたよ。今は無き安宅産業に頭を下げて手形を発行してもらったり、それは苦労をしました。しかし、今となっては貴重な良い経験でした。その当時一緒に仕事をしていた仲間とはチリジリバラバラになりましたが、皆さん仕事は立派に成功され、経営者となっています。仲間の皆さんにとっても若い頃の倒産はとってもためになったんでしょうね。弊社も会社立ち上げ時には、公私ともに援助していただきました。持つべきものは友達ですね。このOB会はもう十数年続いています。
2010年4月7日
今日は朝からNEDO(独立行政法人 新エネルギー・産業技術総合開発機構)の研究助成金の期末検査日でした。経理担当のK部長と一緒に川崎のNEDOまで重い書類を持って、行って来ました。この研究助成金は、大阪大学K教授の研究室とKITという大学発ベンチャーさんと3者で共同研究をしている、新規化学プロセスによる太陽電池の高効率化という研究テーマに対して助成を頂いたものです。NEDOの査定は厳しく1円まで追求されました。使い過ぎても、使わなくてもいけません。国民の皆様の税金ですから大切に使用しなければね。
なんとかクリアーして、川崎のラゾーナでお昼を食べ、一寸息抜きに川崎駅の裏にある神社へお参りに行きました。そこは女体神社というなんとも妖艶な神社でした。なんでも、川崎駅の周辺は昔湿地帯で、良く川が氾濫して村人の被害が大きかったそうです。ある日川が氾濫したその中へ勇気ある女性が身を投げて川の神様の怒りを静めたそうです。それ以来、氾濫がおさまり村人は助かったということです。きっと川の神様は男だったんですよね。
午後からは、NEDOのセカンドステップ審査会に参加しました。おなじテーマで今年度の助成金を引き続き受けられるかどうかです。仕分け人が20人近くもいて、ビックリ。厳しい質問攻めでした。蓮舫さんみたいな女性が特に怖かったです。女体神社の女性の様に強い女性でした。
2010年4月3日
今日は、会社の近所のふじやま公園で、お花見をしました。朝からP君は場所取り、あとのみんなは手分けをして、食材当番、設営当番、K取締役はブルーシートの番人でした。
天気にも恵まれ、桜も満開。楽しいひとときを過ごせました。そうそう、今日は私の誕生日です。我が社ではその月に誕生日を迎える人をまとめて毎月1回誕生会をしています。幸い4月は私だけ、ラッキー!
これから社員を募集するときは4月生まれは不採用にしようかな・・・。
4月の誕生会はズート私ひとり! いかがでしょうか?
2010年3月30日
今日、建設業許可票が届きました。これで我が社も大きな顔して建設工事に携われます。機械器具設置工事業をしてもいいというお上の許可状です。なんだか江戸幕府みたいですね。なんでもかんでもお上の許可状がいるなんて。なんでも、昭和24年にできた法律だそうです。敗戦後日本は空襲で焼け野原、そこへ家を建てるため、なけなしのお金を建設業者に払っても、持ち逃げする業者が横行していたので、この法律を作ったそうです。詐欺師防止の法律がだんだん成長し、現在の建設業法になったんだとか。民法、会社法で取り締まれないほど建設業には悪人がおおいのかな?いや失礼、昔多かったのかな?でも、今ではこの法律のおかげでお上は大変な収入を得ることができることは確かですね。
でも、まあともかく我が社にも許可が下りたのですからめでたしめでたしですよ。許可証の申請に最大限の努力をしてくれたT君に感謝、それから、申し込み書を取りに行ってくれただけのK取締役にも一寸だけ感謝。
2010年3月27日
日本半導体業界の衰退の話で思い出しました。先日目から鱗の本を読みました。イノベーションのジレンマ 日本「半導体」敗戦 なぜ日本の基幹産業は壊滅したのか? 湯之上隆著 (光文社)です。湯之上氏も元日立製作所の中央研究所に在職され、エルピーダー、セリート等へ出向され、リストラで同志社大学に移り、半導体産業の社会学研究をされて、この本を出版。実に興味深い本です。結論は高品質にこだわり続け、市場の要求をくみ取れなかったために、いや、くみ取っていた人々がいたにもかかわらず、過去の栄光に浸った権力者の長老達がその訴えを聞き入れなかったということでしょうか?まあ、幕末の状況ですので、明治維新が起こらないと日本半導体は復活しないということでしょうか。半導体産業に少しでも関わられている方は是非お読みください。
2010年3月25日
今日は、久しぶりに仙台へ出張しています。東北大学の教授で世界的に有名な小柳光正先生の退職記念パーティーに主席しました。小柳先生はDRAMメモリーのスタックの発明者です。日立製作所の中央研究所で在職中にこの発明をされ特許を取得、この発明は64kビットのメモリーから採用され、128Mビットまで7世代に渡って世界中で利用された技術だそうです。2006年にIEEE(米国電子電気学会)の名誉ある西澤メダルを受賞されています。その受賞記念パーティーにもご招待いただき参加しました。ちょうど私が4年前に会社を辞めて、レナテックを立ち上げたころ、このパーティーにご招待され元気をいただいた思出があります。小柳先生ご苦労様でした。そして、まだ日本の半導体のために頑張ってください。退職後も東北大学に残って、研究を続けられるそうです。
記念講演では、半導体シニア協会理事の牧本次生氏が「半導体産業の発展と衰退」についてご講演をされました。もう一度日本に半導体産業の繁栄を!と最後に半導体を元気づける歌までありました。でも、歌だけではね。景気の良い軍歌を歌いながら敗戦に突き進んだ日本の歴史を思い出しました。
2010年3月19日
我が社始まって以来初めての社員旅行をしました。決算が黒字になったら行こうねとみんなで楽しみにしていた社員旅行です。でも、チョコットの黒字なので、チョコットの社員旅行ということで、会社の近くの箱根湯本で念願の宴会をしてきました。少し儲かったら、北海道旅行で、うーんと儲かったらヨーロッパ旅行です。夢は大きい方が良いですからね。
翌日は、初めての経験で箱根ユネッサンのお風呂にみんなで入ってきました。20代の若者から80代のおじいさんまで混浴風呂に入りましたよ、もちろん水着を着てですが。ユネッサンは、混浴風呂というのかな? 80うん歳の方も温泉ウオータースライダーを滑ってきました。うちの社員はみんな元気だなー。みんな20歳から精神的に年とってないのかも。ってことはみんな「あほ」てことかな? 「あほちゃいまんねん、パーでんねん」って社員から返ってきそうな楽しい仲間です。
でも、無事第1回社員旅行を終えてホットしています。みんなも楽しんでもらえたかな?
いつか、北海道旅行、ヨーロッパ旅行へ行ける日がくるといいな・・・・・
それまで私は生きていられるかなー・・・・・・・