2014年9月14日
ニッカ創業者竹鶴政孝についてお話します。10月からNHKの朝ドラで放送が始まります。「まっさん」という題名だそうです。政孝の奥さんは、彼がスコットランドにウイスキー製造技術を勉強にいったとき知り合って結婚をしたリタさんが、政孝と発音できずマッサン、マッサンと呼んでいたことからこの題名になったのです。広島の竹鶴酒造(今でもあるそうです)の三男として生まれ、お酒に興味をもって、阪大の前進大阪高等工業で醸造学を学びます。そのご、洋酒の老舗である摂津酒造に入社。ここで本格的ウイスキーを製造する計画があり、政孝は、スコットランドへ単身留学をします。苦労の末、ウイスキー作りのノウハウと美人の奥さんを手に入れて帰国をしたのです。ところが、折からの世界大恐慌でウイスキー工場建設計画は頓挫します。今度は、洋酒製造販売業者の壽屋(現在のサントリー)がウイスキー製造をに乗り出そうとします。そこで、社長の鳥居信冶郞が政孝をリクルートし山崎に蒸留所を建設するわけです。しかし、意見の合わないところもあり、サントリーを飛び出して、余市に自分の思い通りのウイスキーを作る計画をたてますが、問題は、資金です。その資金を出してくれたのが、妻のリタさんが英会話を教えていた生徒の夫、加賀証券社長の加賀正太郎という人です。加賀正太郎と加賀の友人の2人が株主となってスタートをしました。そして、苦労の末ウイスキーを製造販売する企業となったわけです。しかし、ここで、私見ですが、竹鶴政孝は確かに素晴らしい技術屋でしたが、経営者としては失格だと思います。後に、加賀正太郎は、昭和29年に不治の病に倒れた時、もう一人の株主とともに全株式をアサヒビールに売却をしてしまいます。それ以降アサヒビールの子会社になってしまったのです。
この写真は、竹鶴政孝が執務をした事務所です。こんな小さな事務所で一人頑張って居たのですね。
さて、優秀な経営者なら、創業時の株主を分散させ、将来の危機にそなえなければなりません。人の気持ちは変わります、株主も人ですから気持ちも状況も変わるのです。株主がまとまって、会社を売られないように、いろいろな人に出してもらうのが正解でしょう。幸い朝日ビールからはたった一人の役員しか送り込まれずに、自由にウイスキー作りができて、ニッカという名前が残ったのは幸いでした。このことによって、竹鶴政孝のウイスキー作りに専念した情熱に感動した気持ちは変わっていませんがね。本田技研の本田宗一郎に藤沢副社長がついていなければ同じ運命になっていたかも知れません。竹鶴政孝に私がついていれば、ニッカは違った道を歩んだのに! 一寸自信持ちすぎ!「はい、すみません」 <THE END>
2014年9月14日
蒸留されたウイスキーは、オーク材の樽にいれられてこの倉庫に入れられます。熟成という行程ですね。その年月は、10年、20年という長い年月をかけるのだそうです。
熟成されたウイスキーは、一樽一樽みな味も臭いも違うそうです。その味の違うウイスキーをブレンドして出荷するのです。同じたるからだけで作ったウイスキーを「シングルカスクウイスキー」といいますが、余市蒸留所でしか販売していません。余市蒸留所で作ったウイスキーだけを混ぜたものを「シングルモルトウイスキー」というそうです。複数の蒸留所で作ったウイスキーを混ぜると「ピュアーモルトウイスキー」これにトウモロコシが原料のウイスキーを混ぜると「ブレンデッドウイスキー」だそうです。少し勉強して帰って来ましたね。
余市蒸留所に売店がありこのお店では、シングルカスクウイスキーを売っています。一樽をそのまま瓶詰めにしたものです。ちょっと高価なのですが、買って帰りました。味はよく分かりませが、ありがたく飲ませていただきました。
創業者の竹鶴政孝は、余市にウイスキー工場を作るのですが、出荷してお金になるのが10年後ということで、リンゴジュースを作って日銭を稼ごうとしたそうです。そこでこの社名は、大日本果汁株式会社と命名されていました。この大日本の「ニチ」と果汁の「カ」からニッカと後に社名変更されたのだそうです。 <To be continued>
2014年9月13日
今日は、余市に行きました。ここは、あの有名なニッカウイスキーの蒸留工場のあるところです。ああ、ニッカね。という感じで見学をさせていただきました。可愛いお案内の嬢さんの説明を聞いている内に感動がわき起こりました。また、感動?と思われますが、私は、人に感動しやすい達なんですね。竹鶴政孝、ニッカの創業者で、サントリーウイスキーも彼の作なんです。日本に初めて本格的ウイスキー製造技術を持ち込んだ人なのですね。彼は、今で言ういわゆるベンチャー企業家です。まずは、その余市蒸留所の工場見学をご紹介します。
これは、麦芽を乾燥・燻蒸するキルン棟です。ウイスキーの原料は大麦ですが、これを発芽させた大麦麦芽をこのキルン棟で、ピートを燃やして乾燥させ同時にピート独特の香りをつけます。ピートは、草炭とよばれ、水辺の植物が堆積して石炭になったものです。乾燥させた麦芽に水を加えて発酵させ、その後蒸留をします。
これが、竹鶴政孝がスコットランドに留学をして、学んで帰って来て独自に日本で作らせた銅製の蒸留器です。石炭の直火炊き蒸留器はこの余市にしか残っていません。石炭のくべ方で温度を調整するため職人技が必要なのです。蒸留器の底に少し焦げ付きが残り、その香りが独特のウイスキーの深みを出します。写真の作業員のお兄さんとお話をすることが出来ました。「貴方のうでがが、ウイスキーの味を付けるのですね。」と、彼は、目を輝かして「そうです。若い頃は釜をこがしてよく怒られました。まだまだ修行です。」職人ですね。私はすっかりニッカウイスキーの虜になりましたよ。これからは、ニッカしか飲まないぞ!どんなに綺麗なお姉ちゃんがスナックでキリンを勧めても! <To be continued>
2014年9月13日
小樽には、にしん御殿というお屋敷がいくつかあります。その中でも旧青山別邸というお屋敷が小樽貴賓館として観光客を集めているようです。私も見学をしました。青山家は明治大正を通じ、にしん漁で巨万の富を築きました。その3代目の政恵(女性)は、山形県酒田市の大地主本間家にあこがれ、本間家以上の家をと贅の限りを尽くして建てたといわれています。当時本間家は、「本間様には及びもないが、せめてなりたや殿様に」といわれるほどの日本一の大地主でした。青山家が山形の出身と言うこともあり本間家と交流があったそうです。当時新宿の有名デパートの建設費が50万円、このにしん御殿が31万円だったそうですから、いかに贅沢であったか。その後、にしん漁は取りすぎたためか不漁になっていき、遂に衰退をしていきます。
確かに、御殿は残りましたが、それだけの富を集めながら事業継承ができなかった青山さんは、経営者としていかがなものですかね。にしんがいずれ採れなくなることを予測して、その保護に投資するとか、または、別の新規事業に投資するとか、自分の欲望の実現のために儲けをつぎ込んでしまうようでは、経営者失格だと思いますね。なんだか寂しさと虚しさの残るお屋敷でした。
2014年9月11日
北大での展示会を一寸サボって、ゴルフをやりました。半導体業界の方々と結成したSSM会ですが、もう皆さんOBに。毎年北海道でこの時期ゴルフをやろうという企画で私が幹事になっています。たまたま、北大の展示会とゴルフ会が重なっただけですので皆様誤解の無いように。大雨警報が出ていた日ですが、苫小牧と千歳は大雨。最初に予定していた千歳のゴルフ場はクローズドに。朝あわてて、皆さんが送っているゴルフバックを千歳のゴルフ場まで取りに行きました。それから、晴れたゴルフ場を探して、根性でやりましたよ。小樽方面の日本海側は晴れていたので、札幌テイネゴルフクラブというゴルフ場で無事プレーをすることができました。暑かったです。ピーカンの天気。ラッキーでした。
2014年9月9日
またまた、札幌に来ましたよ。日本獣医学会学術集会という、いかめしい名前の学会が9月9日から12日まで、4日間北海道大学で行われました。また、併設展示に性懲りもなく光触媒脱臭器を展示。動物病院の待合室で使ってもらえないかなあという軽い気持ちです。学者先生が多くて、一般の開業医さんは少なかったのでチョット肩すかしの感もありました。
でも、いろいろ参考になることがあり、何でもやってみなければ解りませんね。
秋の札幌はひんやりしていて、湿度も低く快適でした。が、11日に大雨警報がだされ、明け方の4時から携帯電話の警報が鳴りっぱなしだったのは、迷惑しました。北海道は広いので、大雨の所と晴れたところがありのまだら模様の陽気でした。我々はそんなに雨にも降られず、ご心配おかけしましたがまあまあの天候でした。でも、何回来ても北海道大学は、雰囲気のある学校ですね。私は、とても気に入っています。来年もなにか学会ないかな・・・。ちなみに、来週から応用物理学会が1週間あるそうです。20年ほど前に初めて応用物理学会を聴きにきたのも北大でした。初めての北海道と、初めての学会に心を弾ませたものでした。1週間「半導体表面A」という発表会場に通いました、最初はちんぷんかんぷんでしたが、学会の終わりの頃には「門前の小僧習わぬ経を読む」状態にまでなりました。若い頃の思い出が懐かしく思い出されましたよ。その隆盛を極めた半導体業界も今衰退の一方というのも悲しいものですが・・・・・。
2014年9月4日
昨日大阪へはるばる神奈川から車でやってきました。1日中お仕事をして、夜のお仕事もこなしましたよ。そして、今日最期のお仕事をして神奈川に帰ろうと思っていたら、相手先の都合が悪くなり、朝から帰ることに。雨でうっとうしい日でした。普段は、吹田インターから高速道路に乗るのですが、この日は気分を変えて、茨木インターから乗ることに。千里中央から名神の茨木インターに向かっていたら梅花女子大学の看板が目に入りました。勘違いしないでください。女子大に興味があるのではありません。この大学の学長が私の中学校の時の同級生で親友だったことを思い出しました。どんなキャンバスなのかチョット寄り道をしてみました。なんと立派な学校ですよ。レナテックの社屋とはえらい違いです。中学校の時は私の方が成績良かったのですがね。彼は一度企業に就職しましたが、勉強が好きでまた学校へ。結局気がついてみたら大学の先生になっていました。企業に入った私は、事業拡大だ、利益だとばかり、で彼は、もっと高尚な文学論をというわけで、だんだん疎遠になっていきました。でも、数年前に彼が学長になったときに、おまえの言っていたことがだんだん解ってきたよと。大学の経営も大変でね。学校の先生はそのあたりが解っていなくて苦労するよと、飲みながらこぼしていました。生徒が集まらなければ私学は赤字です。どのように魅力ある学校にするか、それは会社の事業戦略と同じなんだよと。
N君頑張っていますか?従業員の数がレナテックとは桁外れに多いので大変だと思いますが。でも、品のいい顔してますよね。中学校の時は私の方がハンサムだったんだけどね。きっと私の方が人生の苦労が多くて、顔がシワクチャになったんだよ。
2014年8月29日
今日は2014年5月期の決算を報告する株主総会でした。役員4名、監査役1名が前に出て、株主の皆様に業績の説明をいたしました。社員持ち株会のみなさんと、社外株主の一部の方が参加されました。怒号が飛び交うような激しい質問もなく無事おわりました。まあ、業績はまあまあですからね。私が起業した当時、ある中小企業の社長さんが言っておられました。「黒字の中小企業の社長ほど楽なものは無いね。でも、赤字の中小企業の社長ほど大変なものももないよ!」来年も頑張って黒字にしょうっと!従業員のみなさんも頑張ってくださいね。一生懸命従業員のために美味しい社食作りますから・・・・。
2014年8月17日
今日は、お昼の社食で鮎の塩焼きを食べました。毎年この時期になると釣り好きのS君は、自宅近くの相模川で鮎の友釣りをします。鮎釣り名人のS君は、会社のみんなのために鮎を釣ってきてくれました。今日は社員全員の分ということで、土日に頑張って、20匹以上釣ってきてくれましたよ。しかも、クーラーボックスに金魚のブクブクをいれて、泳いでいるのを持ってきてくれました。チョット残酷ですがこれを串刺しにして、備長炭で塩焼きにしました。なんと美味しかったことでしょう。なんと贅沢なお昼でしょう!
S君今年もありがとう。又来年もよろしくね。今日のお昼代は、皆さんから集めて、土日頑張ったS君の日当にしましたよ。
2014年7月22日
会社のお向かいに古い借家がありましたが、借家人が5月に転居されたので、空き家になりました。この空き家を大家さんから借りて、内装を思いっきり綺麗にしました。レナテックの商品の取り扱いや営業について販売店さんと勉強をすることが目的の研修センターです。もちろん社内会議や、仕入れ先との会議などにも使用できる多目的センターです。
会議室とシングルルーム2室もあり、出張者も無料で宿泊することも出来ます。私がウッドデッキパーティーで飲んだくれて、帰れなくなり泊まることもあるかもですね。
外から見ると植木畑の中にあり、チョット風情があります。でも、夏はかが多いのです。今はやりの一筋しまかもいるかも・・・。まだまだ、本格稼働はしていませんが、ただいま試験運転中です。