バリ島でのゴルフ三昧をあとに、ジャカルタを経由して、カリマンタン島(旧ボルネオ島)のポンチャナックという町に立ち寄りました。この町は、西カリマンタン島でもっとも大きな都市です。また、赤道直下の町としても有名なんです。でも、日本人は、ほとんどこの町を知りません。日本を発つ前に、R銀行の知合で昔ジャカルタに赴任していたことのある方に情報提供をお願いしましたが、彼のジャカルタでの友達に聞いても行ったことが無いとの事でした。ネットで調べてもほとんど情報がありません。でも、そんな所になぜ行ったのか?と思うでしょ。実は死ぬまでに一度行ってみたかった場所なのです。理由は、私の死んだ父親が若い頃、M商事から海外駐在員でこの町に単身赴任していたんです。その期間が太平洋戦争まっただ中の1943年から1946年なのです。インドネシアからの物資を調達する目的で派遣されていましたが、終戦とともに引き上げることになりました。しかし、引き上げを目前にしてオランダ兵に拘束され、裁判にかけられたのです。罪状は、ポンチャナック事件に関与した罪です。このことは、父親が亡くなったあとで解った事なのです。父は、終戦後一年間インドネシアに抑留されていたとだけしか語りませんでした。詳しい事情は何も語らずに51歳で亡くなりました。偶然にも私が勤めていた前の会社Nマイクロの創業者Mさんがその事情を知っていたのです。戦時中、彼もインドネシアのボルネオ島に野村貿易から現地駐在として派遣されていた経験があったのです。「ポンチャナック事件」現地では「マンドール事件」というそうですが。この事件について記述したいと思いますが、チョット長くなったので、次回に続くにします。
カリマンタン島には、昔社会の教科書で習った広大なプランテーションが広がっていました。洗剤の原料となるパーム椰子の畑です。
赤道直下では、衛星放送用のパラボラアンテナが真上を向いています。変な感じ。
赤道直下を示すモニュメントです。